近頃は文章はキーボードで打つのがあたりまえ、個人的な通信で郵便のお世話になるのはほぼ年賀状、暑中見舞いくらいになってしまいました。
私が中高生のころまでは、文章は、紙にペンで書くしかありませんでした。そのころの私は手紙魔で、机の引出しはやりとりした手紙の束でいっぱいでした。ラブレターではありません。
タイピングはまず機械式タイプライタで覚えました。もちろん紙の上に直接文字を打つので、一つミスタイプすると、泣きながら(?)専用の砂入り消しゴムで修正したものです。書式がちょっとでも変われば、また長い文章の最後で大きなミスをすれば、全部最初から打ち直しです。
文章を手書きするときも同じことで、よくあんなことをやっていたなあと思います。文章を作るときの感覚も、少し違っていたかも知れません。
もちろん、本は紙でできたもの。とにかく文字は紙の上にあるもの。ほとんどの情報は紙にのせて、読んでくれる人のところに運搬する必要がありました。これって、紀元前からずっと変わらなかったことではないでしょうか。(羊皮紙、陶板、甲骨も、なかまはずれではありません)
ところがつい最近になって、文字情報が紙から離れ、電子データとして自由に流れはじめました。これは、本当に大きな変化だと思います。(文字どおり数千年に一回の大変革?)
情報が世界中を流通するには、これまでは紙を運搬する手段の確保と、異なる言語の壁、両方を解決する必要がありました。紙の運搬の問題が電子データ化で突然解決してしまった今、残るのは、言語の壁のみです。世界が小さくなる中、言葉の壁がどう乗り越えられていくのか、本当に興味があります。
Staff ダイコン