英語には"〜"という文字はありません。英語では"ハイフン(-)"で代用し、前後にスペースを取ります。
(例)
・日本語  10〜20
  ↓
英語   10 - 20 (または 10 to 20)

"-"は 1-2(1の2)のように使われることがありますが、この場合はスペースは不要です。
(例)
・Figure 1-2: Setting Screen

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塗り重ねて

もうすぐ大型連休ですね。連休前に翻訳を発注される客先が多いので翻訳会社は多忙を極めます。稼ぎ時ですがキツイのも事実です。

先頃放送が終了した「ちりとてちん」に次のような台詞があります。主人公の祖父が遺した言葉です。
「人間も塗り箸と同じや。研いで出てくるのは、塗り重ねたもんだけや。一生懸命生きてさえおったら、悩んだことも 落ち込んだことも綺麗な模様になって出てくるから無駄なことなどないんや」

人生論的なことはさておき、これは翻訳の仕事にも応用できると思います。
私流に勝手に解釈すると、

研いで出てくる=翻訳後の文章(和文、英文、その他なんでも)
塗り重ねたものだけ=自分が経験して身につけたことだけ
悩んだことも落ち込んだことも=失敗したり、クレームを受けたこと
綺麗な模様になって出てくる=実務で生かされる

今日もまた業務を通じてひと塗りします。

Staff ゼンマイ

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日本語の助詞

中国人スタッフの書いた日本語を見ると、日本語レベルのかなり高い人でも助詞を間違うことがあります。「は」と「が」の違い、「の」の不適切な使用(あるべき場所になく、なくてもよい場所にある)などが見られます。他の単語はよくても、助詞の使い方がおかしいとすぐに外国人の書いた文だとわかります。ただ、助詞は文の主要な要素ではなく、日本人がみれば簡単に修正できるので、助詞の間違いは軽視されがちです。しかし、そのせいか、いつまでたっても同じような間違いが繰り返されます。

なぜ外国人にとって、日本語の助詞は難しいのでしょうか。中国語やヨーロッパ言語にない品詞だからというのが大きな理由でしょう。しかし、日本語のレベルが高い人でも繰り返し同じような誤りを犯すところをみると、他にも理由がありそうです。

ある本で読んだのですが、明治時代、ヨーロッパ言語を元に日本語の品詞を定めた際、溢れたものが助詞でした。それ以来、助詞の分類や数についてさまざまな説が出されましたが、現在でも統一的な規定には到っていないということです。「は」と「が」の説明についても、いまだ諸説あるようです。

外国語を学習する場合、文法に大きく依存します。文法的に確立されていない助詞を習得することが外国人にとって困難であることは、容易に想像できます。外国人に日本語を教える場合、そのことを念頭におきつつ、できるだけ論理的に説明できるよう、自国語についても勉強しておく必要があります。

Staff アサガオ

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音の表現

技術文書には音の表現が頻繁にでてきます。音の訳出は頭を悩ませるもののひとつです。

音の翻訳に関する参考書として下記の書籍を使用しています。
「日英擬音・擬態語活用辞典」(尾野秀一編著 北星堂書店発行 1984年)
この辞典では日本語独特の表現や日本的な発想の表現が豊富な例文とともに掲載されており、読んでいると興味は尽きません。

たとえば、「かん」と「かーん」を比較した箇所がありますが、まず日本語で「かん」と「かーん」の感覚的な相違点の説明があり、つぎにそれぞれを含んだ和文と対応する英文が併記されています。日本語の微妙な語感についても丁寧に説明されており理解しやすいです。

みておりますと、日本語にはなんと擬音語・擬態語が多いのだろうと思います。日本語が多数の擬音語・擬態語をもつ理由についての日英比較による解説なども興味深いです。

Staff タケ

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フランスの王様

今、ヴィトゲンシュタインという人に関する本を読んでいます。人がものごとを考えるときの方法と、言葉の関連について考えた人だそうです。

「フランスの国王は賢明である。」、さて、この文章が述べていることは正しいか否か。ごくあたりまえの問いのようですが、一つ問題があります。そう、フランスには王様がいないのです。では、この文章は、それのみで誤りと言えるか(言って良いのか)。

「○○は賢明だ。」という文章は、○○が本当に賢明なら正しく、賢明でなければ誤りです。では、○○が存在しないとき、これは正しいのか、誤りなのか。

19世紀のMeinongという哲学者は、あることが実在するか否かにかかわらず、宇宙は考え得る、または語りうることの全てを含むと考えて良く、その一部が実在するのだと考えていたそうです。

これはとんでもない話のようですが、妖精物語とか、騎士の竜退治(ドラゴンクエスト?)とか、シェイクスピアとか、フィクションって何なのか、架空の話だから、あれは無いのだ、でいいのかということにもつながると思います。

さて、何かどうでもいい話のように思われるかも知れませんが、この問題を真剣に考えたのが、20世紀初めの数学者・哲学者、バートランド・ラッセルだそうです。

彼によれば、「フランスの王様は賢明である。」という文章は、(1)「フランスには王様がいる」、(2)「フランスにいる王様はただ一人である(原文はthe king)」、(3)「どんなふうにであれ、そのフランスの王は賢明である」、ということが全て満たされているのだということを、短くまとめて述べた文章であると判断すべきだというのです。この場合、(1)は誤りですから、この文章自体が誤りということになる、ということだそうです。

実はこのあたりまでしか読んでいないので、まだヴィトゲンシュタインが出てきてない(おいおい)のですが・・・。翻訳原稿の解釈に悩むことも多い毎日、この先どうなるのか、少し期待しています。

スタッフ ダイコン

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